無理をしないでという言葉が嫌いという価値観。

言葉の軽々しさについて考え込んでしまうことがある。

例えば体調を崩してしまい、周りにそれを悟られた時に「無理しないで。」などと言われることが嫌いだ。
無理するか無理しないかは一体お前になんの関係があるのか。
本気でやばいラインは自らが一番よく知っていることだ。
全ての機能が停止するまで、通常稼働はできる。
何を把握した思い込みの言葉か謎だ。

同じ理由で「頑張って。」と言われるのも嫌いだ。
お前に言われたくねえよ。って。
お前よりはるかに頑張るに対しての執着はある。

他人が体調を崩し、それに対して誰かが「無理しないで。」と言われているのを見るのも嫌いだ。
「無理しないで。」というのはどういう心境から来ているのかがわからない。
本当に「無理しないで。」というのであれば、自分にできることはあるのかを尋ねて物理的に手を貸す方がよっぽど助かるだろう。
仕事があってそれを休んでしますのであれば、その間止まることになる仕事を気にするのが健全だし、その進捗を共有することが重要だ。

結局のところ当事者性がみんなないのだ。
そうすることで自己を保つ。
言葉さえ言っておけば関係性くらいは保てるものだ。

無理はしないでといっておきながら、その間止まってしまう事象に対しては手を貸さない。
確かに気持ちはわからなくはない、
関係値が薄いのであれば、自分の時間を投下する理由は薄いだろう。
それで優しい言葉をかけることで関係性も悪化することもないし、周りに対しても好感だ。

その関係性が本当に気持ちが悪い。

俺はそんな気休めの言葉は誰に対してもダサくて言いたくはない。

子どもの頃は、弱っている人がいたら助けてあげようねと教わっている。
そりゃそうだ、人が苦しんでいるのなら助けてあげるに決まっている。
それを言葉一つで達成できるのかという問いだ。

本気で無理をということなら、自分が関わることであれば、やらなければいけないことがあるのならいくらでもやってやるし、キツイならいくらでも甘やかしてやる。

体調やメンタルのことなど、他人の課題はあくまでも他人の課題だ。
それはどうにもできない。
だが、物理的に俺の手が必要なのであれば、そのまま言ってくれればいい。

優しい言葉なんてかけないけども、本当にダメだったらいくらでも手を差し伸べてやる。
それで誰かが楽になるのであれば、時間を削っても命を削ったって構わないくらい思っている。

そんな話をしてみたら、まるでダークヒーローですねと言われる。
そうか、俺はダークヒーローみたいなものか。

命は投げ捨てるもの。 馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない。

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