サッカーの面白さとネット社会。【FIFAクラブワールドカップジャパン2016 レアルvs鹿島】

2016年12月18日、FIFAクラブワールドカップの決勝が行われた。

FIFAクラブワールドカップってなに?という方に説明。

ざっくり言うと、FIFAクラブワールドカップとは世界6大陸のクラブチームチャンピオンが集うサッカーの世界選手権のこと。
みんなが知っているワールドカップは国の戦いね。これはクラブチームの戦いね。Jリーグのチームとか。
日本のチームが出場するには、Jリーグで年間王者になって、アジアチャンピオンズリーグに優勝すれば、アジアの代表としてクラブワールドカップに出れる。
もしくは開催国枠がある。
今年は日本からは鹿島アントラーズが開催国枠で出場した。

このクラブワールドカップ。
トーナメントの勝ち上がり戦なんだけど、ほぼ決勝戦は欧州代表vs南米代表である。
まあ、サッカーわかる人からしてみると当たり前と言えば当たり前なんだけど。
サッカー知らない人でも知ってるようなスーパーな選手が何人もいるようなチームが欧州や南米にはある。
数年に一回、アフリカ代表が決勝まで勝ち上がってくるけど、結局は欧州か南米代表がチャンピオンとなる。

だから個人的には、もう最初から欧州代表vs南米代表だけやればいいじゃん!とか思うんだけど、実際数年前まではそうだったし。
今年は、「ああ、やっぱサッカーおもしろいな!」と思わせてくれる有意義な大会だった!

ていうのは、日本の鹿島アントラーズが決勝まで勝ち上がり、あのスペインのレアルマドリードに「これ、勝てるんじゃね!!!」と思わせてくれる試合をしてくれたからなんだけど。
ていうか、まともに観たの決勝だけだし…笑

プロスポーツの面白さは「格差社会の下克上」があるから。

1−2にした逆転のミドルシュートマジやばい。鳥肌。
結果的に延長戦で負けてしまったのだけど、最高だった。
久しぶりにサッカーの試合見て熱狂的になった。

この試合まで35戦無敗で試合に臨んできたレアルマドリード相手に、一時的にはスコアで逆転し、会場全体も最後は鹿島のサポーターとなり応援してた。
大陸代表集めてクラブワールドカップなんて、これが一番の醍醐味じゃん。
これでもし勝利をしていたら「ジャイアントキリング」なんて言われるんだろうけど、言ってみれば「格差社会の下克上」だ。
サッカーのクラブワールドカップに限定することもないけど、プロスポーツの面白さは「格差」にある。

鹿島は全選手の総年俸が約7億円くらいなんだけど、レアルマドリードのクリスティアーノ・ロナウドは1人でその3倍近い年俸を受け取っている。
しかもクリスティアーノ・ロナウドはスポンサー契約合わせると、90億貰ってるぞ。
バカかよ。
そんな選手がいるチームと、かたや高校卒業したての日本の選手が同じピッチでプレーしている。
これが、オセアニア代表チームなんかだと、バイトをしながらサッカーしている選手もいるのである。
これほどまでに差があるクラブが、同じピッチ試合をするのである。

これだけそもそもの体力が違うともはや、サッカーで勝ち負けは決めるんだけど、実はサッカーの勝負としてだけの問題ではない。
当然のことながら、金がないクラブは知恵を絞らなければ勝てない。
日本のクラブはクリスティアーノ・ロナウドを獲得するほどの資金力はないし、そもそも環境面でもクリスティアーノ・ロナウドは同意はしないだろう。
クリスティアーノ・ロナウドほどじゃなくても、優秀な選手を獲得するにも、でかいスポンサーが付いているか、親会社の営業利益はどれくらいなのか、スタジアムの設備や立地はどうか、歴史があるのかといった問題にもなる。
ならば生え抜きのユース年代を育てるのか、高校生のスカウトを強化して育てていくのか。
それなら、それに共感した強化本部が作れるのかなど、裏側はきちんと経営をしなければいけないもの。
資金があればあるほどもいいに決まっているんだけど、そういう問題ではない、とも思わせてくれるのがプロスポーツだ。
「格差社会の下克上」ほどドラマティックなものはない。
勝てはしなかったけど、それが今回のクラブワールドカップの、レアルマドリード対鹿島アントラーズの試合で感じさせてくれた。
資金力も違う、選手のレベルも違う、環境も劣っているチームが、絶対王者を追い詰めていくのは痛快だった。

レアルが世界一!!の結果は、まあそうだろうな…勝てるわけがないよな…と納得なんだけど、あんな試合見せられたら鹿島が世界一になっても全然おかしくなかったので今は超残念!!

個人的に語るサッカーの面白さ。

自分が学生時代も、社会人になっても草サッカーチームに入るくらいのサッカー好きではあるんだけど、「なんでサッカーが面白いと思うか。」を考えてみる。

1.組織がフラット。
完全に偏見が入るけど、学生時代からサッカー部はなんか自由な空気があった。
先輩後輩もあまりなく、ラフな感じだったし、練習して上手くなれば一年生でも試合に出れるチャンスがあった。
試合に勝つためには、年齢も何もかも関係なく役割の一つを与えられる。
能力次第。
野球やテニスやバスケは先輩に対して必要以上の敬意を払っている空気がある。バカかよ。
全員無条件で坊主。みたいなわけのわからない決まりもない。
これは別にディスっているわけではない。
個人的には向いていないということね。
サッカー部は髪型もある程度自由だ。

2.チームスポーツ。
多分個人種目やっていたらサボる。練習なんて行かない。
判断によっては個人で打開をしてもいいし、人の力を借りれる。
個人の能力の足し算ではなく掛け算。
個人技がすごい選手が何人もいても弱くなることもあるし、普通の選手ばかりでも強くなる。
勝つためには全員が連携し、全員で攻撃や守備をする必要がある。
チームで同じ方向に向かうことが必要。
そのためにチーム内での密なコミュニケーションが必要。
それが出来た時、なんかわかんないけど自分たちでも強くなった感が感じれる。

3.プレーの裁量がある。
プレーに関して、一瞬一瞬で局面が変わる。
一瞬なため、ある程度先を読まなければ出遅れる。それが命取りにもなる。
90分はぶっ続け。その間は選手自身が監督にもなれる。
流れを読む力がつく。
そのため、試合中は個人が判断をして動いても良い。
時には試合中にポジションだって自由に変えてもいい。
点を取る目標のためのプロセスは何をしてもいい。
その瞬間の責任は自分自身たち。
なんなら、外で監督が言っているのを無視してプレーしてもいい。いや、まあ本来はダメだけど。
時には監督やコーチでさえも組織の役割の一つに過ぎない。
監督もその特性はある程度分かっているから、現場の判断で動いても理屈が通じる。

4.戦略が無限。
理屈上の型にハマった戦略は通用しない。
フォーメーションもポジションも無限。
チームにいる監督と選手の人間の能力と特性によって無限の組み合わせ。
決まったことをしても絶対に通じない。
コレってモノがない。
点を取るプロセスが無限にある。
チームでかみ合わないと、なかなか点が入らない。

もしかしたら別にサッカーじゃなくて、他のスポーツでもよかったのかもしれないけど、最初にやり始めたのがサッカーなんだからしょうがない。
面白いもんで、なんでサッカーを選んでやってきて、サッカーを好きなのかを自分で考えていくと、社会人になって働く時に何を重視するのか。みたいなものと通じる部分が多い。
総じて言えば、仕事する上なら必要以上な見た目はこだわらず、組織がある程度フラットで誰にでも裁量があり型がなく自分の頭で考えることが出来て行動して意見を交わして、そういう人たちが掛け合わさって目標に進んでいくのが好きなんだと思う。

会社名や組織で選ぶというよりは、社名なんてどうでもよくて自分が活きたい市場で選んで来たという感じだ。

ネット社会はサッカー好き性格が有利かも。

強引にまとめてみると、自分はネットの社会の中で生きているし、現在のネット時代は言ってみればどの社会よりも平等な社会だと思っている。
平等であり過ぎるが故に格差が広がってきているのが近年。
ネット社会は「格差社会の下克上」が常にそこらへんで行われている。
「格差社会の下克上」ほどドラマティックであり、残酷なものはない。
個人次第で身につけるスキルを決めて、活かし方も決められる。
誰と一緒に仕事をするかもある程度自由だし、それを金にすることが出来る。
かといって身につけたことが何年先も通じるスキルじゃなかった、一から学び直しなんてことザラにある。
続けても無駄なものは無駄。先を読む判断と決断力が求められる。
ズバッとブチ切るような諦める勇気を持たない者は淘汰されていく。
その流れを読んで、組織も個人も投資するものを決めていかないと無駄ばかりで終わってしまう。
情報なんて得ようと思えば、様々なチャネルから得ることが出来るし、いろんな人とも繋がれる。自分がそれを望もうとするなら。
伝統品の職人でもない限り、惰性で積み重ねた年齢でのキャリアなんてゴミみたいなもんだし、会社のマニュアルだけに依存していたら会社の奴隷の出来上がりであって、社会という市場に出てみればこの先何十年も生きられない。
一番に考えるのは会社やクソ上司のご機嫌ではなくて、目の前の市場にいるユーザーだ。
会社がダメだとか言っても、誰がどう考えても本当にユーザーの役に立つのなら、個人でやってしまえばいい。
会社の上司に気に入られることに必死な人間は、広い市場の社会に出ても何もできないよ。

新卒の営業採用はラグビー部が有利とかたまに聞くけど、(都市伝説かもしれない)その理屈もわからなくはないし、業種にもそう言った特性はあるんじゃないかな。
どんなマーケットで評価されたいから、今何をすべきかという自分の選択肢が非常に重要だ。
ネット上は本当にフラットで、組織に評価されなくても生きていける。
組織からの評価が欲しければ野球やラグビーみたいな組織に服従する体育会系で、能力のないゴミみたいな上司さえもヨイショするようなスキルを身につければいい。
完全に偏見だから、意見があればほしい。
組織的思考と市場的思考の例えね。
人間性の否定ではなくて、型の否定だ。
「何部だった?」「サッカー部っス!」「ああ、やっぱりね。いそう。」みたいなこと個人的に多いんだけど、こういう考えから来てるだろ?
組織に評価されたいのか、市場(ユーザー)に評価されたいかの思考の傾向がある。
逆に言えば自分はゴミみたいな上司がいたとしたら、一ミリも媚びることはしない、というか出来ないのでうらやましい部分もある。
いや、ないわ。それをやるんなら死んだほうがマシ。

目の前にある未来の流れを読んで今必要なことを実行していくことが必要で、さらにそれがめくるめく変化しているネット社会では、サッカーを好むような人間が向いているんじゃないかな…と思ったりした。

といいつつも、サッカーやる人間もいろんなタイプがいることは確かであって、そんな人間ばかりってことは決してない。
それでも自分の経験上、サッカー生活から得たモノがネット社会で生きる上で活きていると思うのは確かだ。
クラブワールドカップを見ながら、途中そんなことを考えていたけど、サッカーってやっぱり面白い。

命は投げ捨てるもの。 馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない。

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