ミッシェルガンエレファント伝説のフジロック.

本日はアベフトシの命日。

アベフトシは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリストだ。
2009年7月22日未明、急性硬膜外血腫のため死去した。

これほどまでに日本人のギタリストで、『圧倒的』なギタリストはアベ以外にいない。

アベの奏でるロックンロールの、衝撃は一体何なんだろうか。
コードをソロのように、高らかに鳴り響かせる圧倒的さ。
いつになっても、この衝撃はなくならない。おそらく一生なくならない。
今でもその音源を聞いたその瞬間から、拳を強く握りしめ、行き場を探している。

そして今日、2016年7月22日はフジロックフェスティバルの日だ。
そこで、ミッシェルの伝説の一つになっているフジロックのライブをピックアップしたい。

その後のフェスにも影響を与えた98年フジロック。ミッシェルの伝説のグリーンステージ。

98年のフジロックといえば第二回目だ。
前年の記念すべき一回目のフジロックが台風で中断になった歴史がある。

この日は晴天。
去年のことがあるから、アーティストも運営側も、
そして、オーデイエンスにとっても普段以上にテンションがぶち上がって当たり前である。

気温は35度を超え、ステージ付近では40度は余裕で超えていただろう。

ミッシェルが登場する前から、オーディエンスのボルテージはMAXを超えている。
そこは尋常ではない空間になっていた。

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こんなに荒れ狂っているライブとそのステージに立っているバンドはこの後も日本にはないと思う。

ミッシェルが登場すると、まさしくそこはロックンロールの修羅場と化していた。
この時のミッシェルって『なんか、ミッシェルってバンドってかっこいいらしいぞ』と、
ロックンロールを愛するファンを中心にその名が広がりつつある時で、
ファンもそうでもない連中も、ミッシェルを一目見ようと予想をはるかに超える数の人間がステージに押し寄せた。

そして、いざライブが始まった途端、オーディエンスが荒れ狂う。
この気温の中、ボルテージMAXをはるかに超えたオーディエンスがステージ前方に寄せられる。
モッシュのしすぎと熱中症でバッタバッタ人が倒れる、そのたびに中断の繰り返し。

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今の野外フェスの範疇を超えていた。
すげぇ時代ですげぇバンドだった。

人の動きがまるで波のよう。

このライブは日本のフェス運営の土台とも言える部分を考えるきっかけになったライブでもある。

今では考えられないかもしれないけど、
98年って言ったらフェスなんてものはフジロック以外なかったのである。
97年にフジロックとエアジャムが始まって、99年にライジングサン、2000年に今ではおなじみのロックインジャパンとサマソニが始まったという歴史。
このミッシェルのライブにいる客のほとんどがフェスなんて初めてだったはずである。

細かくブロック分けなんかしてないから入場規制なんかしてないだろうし、
モッシュが本格的に禁止になった10年ぐらい前までスタンディングのライブって今じゃ考えられないぐらい客をギュウギュウに入れていた。
今ではここまで客をギュウギュウに入れることなんか絶対にない。
現在のフェスとは圧倒的に環境が違うのである。

その後のフジロックや、他のフェスにも影響を与えたステージだったのである。

そのなかで、ボーカルのチバの言葉がオーディエンスを支えたのが印象的で、
この時のチバの
『倒れてるやつは起こしてやろうぜ』
『お前ら絶対死ぬなよ』は、語り継がれる言葉。

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本当に、この映像見ていると、よく死人が出なかったなって思う。

アベに黙祷を捧げるとともに、この素晴らしいバンドと一生生きていくのだと思う。

命は投げ捨てるもの。 馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない。

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