初めましてー.で始まる。だがその後に発する言葉が何も見つからない。

時間の使い方に過敏になってきている。
それはシンプルに年齢を重ねる上で生命体として終幕を迎えることに近づいているからなのか、シンプルにやりたいことが多すぎるのか、シンプルに知りたいことが多すぎるからなのか。

この世にこれだけのモノコトが溢れているのに、自分が生きているうちでどれほど知れるのだろうか。
知らなくていいことには全く興味が何のだけども、知りたいと思うことへの探究は人一倍にあることは自負している。
残酷なほど過ぎる時間の構造の中で生かされている。


ここ数年で、無駄な飲み会にも顔すら出さなくなった。
特に意味のない定例の近況報告飲み会だったり、飲み会から始まるコミュニケーションに嫌気が差す。
文脈もなく何かのタイミングで出会っただけなのに、とりあえず飲みに行きましょうよと会ってすぐ言ってくるやつは大嫌いだ。
目の前にいるよく知らない人間と飲みにいくくらいならいなら、その時間を他の時間に投資した方が遥かに費用対効果は高い。
SNSが発達したことにより、お互いの文脈を多少なりとも理解できる時代になったのは助かる。時間の使い方の見極めができる。


よくありがちな男女の飲み会なんて大嫌いだ。
初めましてー.で始まる。だがその後に発する言葉が何も見つからない。
その時の時間を無駄にしてまで、目の前の相手に対してインタビューしたい興味がまったくない。せめて前提の知識をくれよ。

僕のことをある程度知っている友人が開催したのならまだ出席する価値は感じる。

前提知識を共有すれば、さらにお互いに仲も深めたい欲求が生まれるのに、どうしてよく知らない人間にいきなり会わせれ自分のことを話し、対して興味の少ない目の前に人間をインタビューし、これからどんな関係性でお互いにディスタンスを保って生きるべきかの選定みたいな儀式で評価みたいなものを受けないといけないのだろう。お前誰だよ。帰れよ。

例えば、8時間寝たいとダメだという人はよくいるけども、僕は3、4時間で十分だ。
やりたい事が溢れているがために時間を捻出するには睡眠を削るのが手っ取り早い。
8時間睡眠をして活動時間の費用対効果があるのならそれは8時間睡眠という投資だ。しかし3、4時間だとしても費用対効果はそんなに変わらないことに気づいた。であればそれ以上睡眠時間をとることはただの消費に過ぎないので活動時間に当てる方がいいい。


これは自分の中で、時間に対して投資をするか消費をするかの概念みたいなものを判断しているのだと思う。歳を重ねれば起きるべき事象に対し、その後の自分のどれだけインパクトを与えることに繋がるのか常に考えるようになってしまったのだと思う。
この判断基準は他人に説明する事が容易ではないのだけども、他人が無駄だと思っていることに時間を費やそうが、なぜに無駄という結論に達しているのかが自分で理解する事ができるのであれば、僕にとっては投資になり得ている。

他人にはわからないだろうが、その矛盾から生まれるこだわりや、不思議なコンプレックスのようなものを描き出すことに対してのこだわりが、今の僕には必要という事なんだろう。

命は投げ捨てるもの。 馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない。

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