あなただからできるんですよという捨て台詞に絶望を感じている。

疲れている。
思えば今年はコロナの影響もそれなりに受けてずっと疲れている。
疲労感は気を抜けば襲いかかってくるし、些細なことで集中が途切れる。

○さんだからできるんですよ」と言うことを言う人は少なくない。
その言葉を浴びせられるととても残念な気持ちになる。

その差を確信した根拠はどこにあるのだろう。

結局みんな努力という活動を否定しにかかってくる。
努力から逃げている自分を肯定し、その自分を守り生きていくために、目の前にいる同じ人間に対し、「○さんだからできるんですよ」という言葉を浴びせる。
なんだか違うものだと差別を受けているようでとても悲しい。

生まれた時はみんな赤ん坊であって、そこにそこまでに大きな差はあったのだろうか。
今では一流と呼ばれるスポーツ選手だって、有名大学の教授だって昔はみんな同じところからのスタートだ。

自分だってそうだ。昔は例外なく子どもで母親の身体の中からの始まった生命体である。
しかも25歳頃まではフラフラしていて、まともにいきている人たちが羨ましく見えていた時期もあった劣等感の塊だ。
社会的なものは何一つ落ち合わせていなかった。
どこかで色々と諦め、時間が流れることに怯えながら、生きるためには必死になっていた。


本当の努力であればそれなりの結果は付いてくる。
それはこの歳まで生きてきて証明したことの一つだ。
うまくいかないこともたくさんあるけども、それがあるから本当の努力ということに今だって必死に向き合っている。
○さんだからできるんですよ」というのがあるとしたら、それは生きていく中で後天的に身につけた経験や技術である。
生まれた時からスーパースターに対しては「○さんだからできるんですよ」というのも認められるかもしれない。

人と比べるな、現在の自分を一度諦めろ、そして目の前にいる人間ができるのなら自分でもできると信じ、動け。

本当に何かなりたいのであれば努力からは逃げてはいけないし、そんな簡単な言葉でだめな自分を庇ってはいけない。

そして、俺はまたその言葉かと絶望をしている。

命は投げ捨てるもの。 馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない。

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